セッションにおけるダイス目の捉え方

TRPGセッションにおけるダイス目ときいて、あなたはどういうことを思い浮かべるだろうか?

ひとつは、ただの乱数にすぎないということ。
たまたまその目が出た、それ以上の価値を見出さないという捉え方だ。自分の出目がファンブルしやすいのはいわゆる確証バイアス、ファンブラー認識しちゃうのは悪い出目が妙に印象に残るから。おそらく皆さんはこう捉えていることのほうが多いだろう。

もうひとつは、それは一種の託宣に近いもの。
PCやNPCの意志、ダイスの女神の意志、邪神の慈悲や嘲りの結果。その正体はわからないが、人格とも呼べるものに近い何かがそれに干渉しているという捉え方だ。話のネタとしてはこちらで話す人も多いだろうが、心の底からそれを信じているのはおそらく少数派だろう。

ラクシアを舞台にしたソード・ワールドに「運命変転」という種族特性がある。これは、人間族のキャラクターが、1日1回だけ判定に振ったダイス目をひっくり返せるという能力のことだ。
この「運命変転」は言ってみれば、ダイスというもので示された運命を、文字通り変転させるともいえる。人間は運命を切り開く力を持った種族という記述もあったりするので、狙って付けられたキーワードネーミングだろうと私は推測している。

他のシステムにも「ダイスの目は運命を示している」という考え方はちらほら見受けられるのだが。これは賽を投げることで未来を覗き込もうとする、占いの考え方と重なるのは気のせいではないと私は考えている。
ランダマイザーによって示された出目が未来を示すということは、古来洋の東西を問わず行われてきたことなのだ。それがTRPGにおいて、キャラクターらの運命を決めるという行為に流用されるのはごく自然なことだと思うのだった。

話を戻すが。私はダイス目を一種の託宣と考えている派閥だ。
少数派なこともあり同卓者たちから戸惑われてしまうこともあるが、私はランダマイザーから未来を読み取る卜占を得意としている身でもある。そういう点からダイスが指し示す運命は、ある種の運命や宿命を示しているのだろうと、ごく自然に考えてしまう。

そういうことから真面目な顔でココフォリアの盤面に塩を置いたり、出目が悪すぎたときにルーン文字の護符を準備したり。オカルトの方に足を突っ込みながら、運命を良き方向に導こうと足掻いている。
使用するキャラクターをタロットやルノルマンなどの結果を用いて作成するのも、少しでも生還率を上げるため、シナリオを楽しむためという観点からだ。

とあるバスケプレイヤーみたく人事を尽くして天命を待つというわけではないが、やれることはやろうと考えているだけとも云える。
もっとも、それが理解されないことはわかっている。数学や科学でで解明できていないことを受け止められないものを、スピってるなどと嫌悪されることは構わない。

ただ、こういう視点で考えている人がいるぞということを。ネットの片隅に、書き記しておきたいだけなのだ。